2011年11月01日
映画森聞き上映会を終えて
10月30日
飯田わくわく広場にて,映画「森聞き」の上映会を行いました.
当日は珠洲,輪島で様々なイベントがあり,地域の方は大変忙しそうでした.ご来場いただいたのは60名程度でしたが,会場の雰囲気はとても良く,映画のあとに皆さんにいただいた感想も,とても好評でした.
午後の部では,上映会のあとにトークセッションをもうけ,ゲストに金沢大学の天野良平先生をお招きし,映画の感想や,聞き書きの意義についてなど,会場の方々と意見交換をしました.
この,映画の後の意見交換がとても有意義な時間だったと思っています.
参加者には,珠洲で炭を焼いている職人,塩を作る職人も来られていました.お二人とも30代で,先代の仕事を継いでいる方々です.このような失われつつある伝統産業が,まだ能登にはのこっていて,それを引き継いでいる方々もいらっしゃる.能登でこの映画を上映することを考えた理由の一つは,彼らと一緒にこの映画を観たいという思いもありました.
また,そのような地域に住む中高生達に,ぜひ見ていただきたいと思っていましたが,今回は十分PRができず,残念ながら高校生は1名のみの参加でした.
映画に登場する森の名人達,その方々の仕事はほぼ絶滅しかかっています.日本の里山で,長い歴史の中で培われた(椎葉クニ子さんのソバは5000年前から?)産業が,この50年で急速に失われていっています.そのかわりに日本経済は大きく発展しました.しかし,バブル崩壊から20年,年金問題や新しいところではTPPなど,戦後以降日本が積み上げてきた様々なコト,モノが今崩壊しつつあるように私には見えます.
「もう仕事がない」「種を絶やさないために」
映画での名人の言葉です.今は必要とされていない仕事.でもそれを絶やさないために自分は続けている.その意義というのは名人それぞれ,地域にいきる人々それぞれが心にお持ちだと思いますが,私は以下のように思っています.
良い言葉が見つかりませんが,産業・経済国として積み上げてきたものが失われつつある今,この国に残るものはなんだろうかと考えると,国土の殆どが森林であるこの日本においては,映画に登場したような森の名人達が継いできた伝統的な技術と知識しかないのでは,と言う気がします.
それが再び日本を活気づかせる大きな産業を生むようなことはおそらくないと思います.里山里海で生活するということは,とてもしんどい生き方です.しかしそこでなんとか生きていくことはできるのではないか,だから生きていくための技術を,今必要ないからといって絶やすべきではないのではないか,と思っています.
映画の中で高校生が「今世界が変わろうとしているのではないか」といっていました.原発の事故がなかったらそんなことは笑い飛ばされていたかもしれませんが,今私たちにとって現実味のある言葉に聞こえました.
とても良い映画でした.
投稿者 赤石大輔 : 2011年11月01日 12:02
この記事へのコメント
高校生(中山きくのさん)とクニおばあちゃんの間のやり取りのなかに、クニばあちゃんの“たましい”の言葉が、「好きじゃない、生きていくためや、そんでする」「種をつがんと・・」「自然に人間が合わせてゆかんと・・」と続く、きくのさん自身が心打たれ、ばあちゃんの物語を共有して行く、ばあちゃん自身の物語が出来、きくのさんが「かわっていく(成長して行く)」・・・そんな力が「聞き書き」にはあるような気がします。今回はお世話いただき有難うございました。
投稿者 amano ryouhei : 2011年11月01日 16:37
天野先生
ありがとうございます.高校生達の中に,森の名人の言葉がしみ込んでいく.そんな過程が描かれていると思います.それによってどのような変化が,ひとや社会に現れてくるのか.聞き書き甲子園から10年たった今,もしかしたらそれを感じることができるかもしれませんね.自分たちの活動はようやく5年です.
投稿者 akaishi : 2011年11月01日 17:03