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2005年10月19日

能登でマツタケがとれていた理由

能登地方,とくに珠洲市は古くからマツタケ生産地としてその名を知られ、発生ピーク年の昭和36年には約23トンの生産量があり、県全体の56%占めていた。
その後、生産量は年々減少し現在は1t前後にまで落ち込んでいる

なぜ,珠洲では過去にこれほどマツタケが生産されていたのだろうか.今日はその理由について,私のきのこの師匠から納得のいく説明を聞かせて頂いたので,ここで紹介する.

能登ももともと(と言っても縄文時代以前),クリなどが成育する,肥えた土壌であったと考えられる.真脇遺跡の約2800年前の土層からは巨大なクリの木を半割りし、円形に立てて並べた「環状木柱列」が見つかっている.

これだけの巨大なクリの木が遠方から運ばれたことは考えにくく,近隣の森から切り出してきたのではないか.とすれば,過去には広大な落葉広葉樹林が存在したと考えられる.このときは,まだ能登にはマツタケはなかったのではないか.

能登では,八世紀頃(未確認)から,揚げ浜式塩田が行われるようになる.この方式は,釜で海水を煮詰めて塩を製造するため,大量の薪が必要であった.現在では,ごく一部でしかこの方式はとられていないが,昔は能登各地でこの方式による塩の生産が行われていた.

薪は当然,近隣の森から切り出して来るわけで,長年の伐採や土壌の流出により,森林は変化していった.貧困な土壌へと変化した土地は,アカマツにとって,またマツタケにとって良い条件となり,マツタケがたくさん採れるようになったのではないか.

と言うのが,珠洲でマツタケが大量に採れる理由である.1959年の塩業整備臨時措置法で,塩田は廃止されていった.塩田のために使用される薪も必要なくなり,森は再び肥え始め,マツタケは減っていったのではないか.

今年9月に珠洲のアカマツ林を視察に訪れたが,コナラや灌木などが多数成育し,林内を歩く事が困難なほどであった.マツタケの再生産を目指して林床の手入れがされている場所があったが,5年ほどたった今でもマツタケは発生していないようだ.マツタケの早期復活を願う.

投稿者 赤石大輔 : 2005年10月19日 18:03

この記事へのコメント

「珠洲でなぜマツタケ」の理由、よく理解できました。いまでもマツタケと聞くと、すず珠洲を思い出すくらい、よく採れたのです。そして、能登半島に住む人はみな「なぜ珠洲に」とちょっと不公平感あるいはやっかみを感じていたものです…。

また、マツタケというと能登島や志賀町(いまの原発のある場所はかつてマツタケの宝庫)もそうで、いかにもかつて製塩が営まれていたような場所の周囲の山々で採れていたと思います。目からのウロコが落ちました。

投稿者 uno : 2005年10月21日 06:18

unoさん,コメント有り難うございます.能登半島でも,何処でもマツタケがあったと言うわけではないんですね.そうすると,製塩以外にも,マツタケ発生に関わる要因があるかもしれませんね.

投稿者 akaishi : 2005年10月21日 19:50