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2005年10月30日

個体群生態学会

10月28-30日に片山津温泉で行われた個体群生態学会シンポジウムに,スタッフとして参加させて頂いた.
講演会場でのPC,マイク係だったので,講演を丸ごと聴くことができとてもラッキーだった.
「Session I: 外来種問題と個体群生態学」と「Session II: 人為的生息地改変の個体群への影響と管理」は,里山を研究する私たちにとって非常に有益な会であったと思う.ただ,本シンポジウムは発表が全て英語で行われたため,理解するのが非常に大変だった.もっと英語の勉強をせねば.

セッションの最後に横国大の松田裕之先生がまとめてくださった総合討論があり,生物多様性の保全についての合意形成について議論がなされた.
その中で松田先生は,Overuse (過度の使用)と Underuse (十分に使用しない)という言葉を示された.これは,2002年にまとめられた,新・生物多様性国家戦略の中の,第一の危機,第二の危機にそれぞれ対応している.どうやら,生物多様性の保全においてUnderuseの問題(里山の荒廃)を述べている国は他にないようだ.

その意見交換の中で,以下のような発言があった.
「果たして,里山の生物多様性を維持することにどれだけ意味があるのか.たった1万年から数百年という人間による自然改変の歴史は進化的時間スケールで見れば,それがどうした?というほど短い.我々は,どの時間スケールを見据えて,種の保全を考えていくべきなのか.(英語だったので赤石意訳)」
むーん,確かに.里山の生物保全に携わる者は考えないといけないことだ.

まず,国家戦略ではどの程度の時間スケールを考えているのだろうか.
生物多様性国家戦略の本文には「・・・・国土レベルの空間スケール、30年から50年先、さらに世代を超えた長期の時間スケールから見ると、生物多様性の保全と人間生活の安全性や効率性の向上は必ずしも対立するものではなく、むしろ密接にかかわっていると考えられます。」と記述されている.これから,おそらく数十年から数百年を考慮した文章であると私は解釈した.

例えば,あと十万年たってその間に日本と朝鮮半島とサハリンがくっついてしまったら,日本固有種とか言う考え方は無くなるのか.はたしてそれまで日本国家が存在しているのか.人類がまだ生きているのか.国家戦略と言うくらいだから,ひとつの国家が存続可能年数に応じた数字が必要なわけで,数十年から数百年は妥当だろう.さらに視野を広げて人類が存続可能な年数は,あと百年か?数十万年か?

そもそも,「生物多様性はなぜ大切か?」
この問いに関して生態学者の間でも合意形成がなされていないのではと思う.生態系サービスや遺伝子資源の価値などが挙げられる中,九州大学の矢原徹一先生はご自身のブログで,「私が大切だと思うから。」と述べられている.私もそれに賛成だ.国民みんなが「私が大切だと思う」なら,国家戦略だろう.第一の危機(過度の開発,人間活動)であろうが,第二の危機であろうが,今現在,絶滅に瀕している種を保全することが重要であるならば,私たちは原生林も里山も保全していくべきだ.それは,私たちと,数世代先の私たちの子孫が生きている時間というスケールで考えて良いと私は思う.今はね.

投稿者 赤石大輔 : 20:11 | コメント (3)

2005年10月28日

きのこなべ

nabe.jpg

10月26日.科学科のSさんを里山に案内する.野生キノコの発生も少なく,ホダ木のシイタケやナメコもはずれだったので,あまり面白いものをお見せできなかったのが残念だが,こんな事やってますという紹介はできた,かな?
夏と違って非常に過ごしやすく調査も楽なのだが,この季節,一人でとぼとぼと山を散策していると,なんだか寂しい気持ちになる.だから誰かと山にはいるのは楽しい.

さて,写真はきのこ鍋である.ヌメリイグチSuillus luteus (L.:Fr.) S.F.Gray,ハツタケLactarius hatsudake Tanaka,ハタケシメジLyophyllum decastes (Fr.:Fr.) Sing.は大学キャンパス内に植えてあるアカマツ周辺で発生する.ナメコPholiota nameko (S.Ito) S.Ito & Imai in Imaiはキタダンのハンノキを伐採した際に菌打ちをして栽培している.ネギと出汁を少し加えて,それから豚肉.今回初めてヌメリイグチを食したが,結構美味しかった.ヌメリイグチは傘の皮をむいた方が良いそうである.最後に御飯と卵をいれておじやにして楽しんだ.
秋は多くの野生きのこを楽しむことができる.アカマツに出るきのこがたくさん採れたらと思うのだが,角間の里山にはアカマツがほとんど無くなってしまったので残念だ.

野生のきのこを食べる時にいくつか注意してもらいたいことがある.
野生きのこを食べるには,ある程度の知識が必要だ.毒キノコの見分け方に関しては,現在の所簡便で確実な方法はない.縦に裂けるきのこは大丈夫という言い伝えも,多くの毒キノコに当てはまらない.さらにきのこは非常に種類が多く,似たキノコも多い.確実に分かるきのこだけを食べる方が良いだろう.
それと,実際に食べて大丈夫だったという経験が必要だ.図鑑を見ると,「可食,しかし時に中毒を起こす.・・・人によっては中毒を起こす.」等のやっかいな記述がある.酒が飲める飲めない,のような個体差がきのこへの耐性にもあるのかもしれない.このきのこは食べて大丈夫だったという経験は重要だと思う.
最後に,私がこれまで調査してきた限り,野生のきのこには大抵,ものすごい数の虫が付いている.大きく成長したきのこは一見美味しそうで採ってしまうが,包丁で切ってみると虫だらけだったなんて事はよくある.虫がきになる人はなるべく若いきのこをえらんでとった方が良いだろう.

※えらそうにいろいろと書いていますが,筆者はきのこについてはまだまだ素人にけが生えた程度なので,食べられるかどうかの質問に責任を持ってお答えできませんのでご了承ください.だっていままで一度もマツタケ食べたこと無いんだから.

投稿者 赤石大輔 : 16:47

2005年10月19日

能登でマツタケがとれていた理由

能登地方,とくに珠洲市は古くからマツタケ生産地としてその名を知られ、発生ピーク年の昭和36年には約23トンの生産量があり、県全体の56%占めていた。
その後、生産量は年々減少し現在は1t前後にまで落ち込んでいる

なぜ,珠洲では過去にこれほどマツタケが生産されていたのだろうか.今日はその理由について,私のきのこの師匠から納得のいく説明を聞かせて頂いたので,ここで紹介する.

能登ももともと(と言っても縄文時代以前),クリなどが成育する,肥えた土壌であったと考えられる.真脇遺跡の約2800年前の土層からは巨大なクリの木を半割りし、円形に立てて並べた「環状木柱列」が見つかっている.

これだけの巨大なクリの木が遠方から運ばれたことは考えにくく,近隣の森から切り出してきたのではないか.とすれば,過去には広大な落葉広葉樹林が存在したと考えられる.このときは,まだ能登にはマツタケはなかったのではないか.

能登では,八世紀頃(未確認)から,揚げ浜式塩田が行われるようになる.この方式は,釜で海水を煮詰めて塩を製造するため,大量の薪が必要であった.現在では,ごく一部でしかこの方式はとられていないが,昔は能登各地でこの方式による塩の生産が行われていた.

薪は当然,近隣の森から切り出して来るわけで,長年の伐採や土壌の流出により,森林は変化していった.貧困な土壌へと変化した土地は,アカマツにとって,またマツタケにとって良い条件となり,マツタケがたくさん採れるようになったのではないか.

と言うのが,珠洲でマツタケが大量に採れる理由である.1959年の塩業整備臨時措置法で,塩田は廃止されていった.塩田のために使用される薪も必要なくなり,森は再び肥え始め,マツタケは減っていったのではないか.

今年9月に珠洲のアカマツ林を視察に訪れたが,コナラや灌木などが多数成育し,林内を歩く事が困難なほどであった.マツタケの再生産を目指して林床の手入れがされている場所があったが,5年ほどたった今でもマツタケは発生していないようだ.マツタケの早期復活を願う.

投稿者 赤石大輔 : 18:03 | コメント (2)